ゴーストバスターズ アフターライフ
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誰を呼ぶ?
間違いなくゴーバスシリーズ最高傑作。まだ見てない人がいたら見たほうがいい。極上のエンタメ映画で、難しいこと考えず、でも、引っかかりを覚えることほとんどなく、基本気分よく最後まで見れて、お説教感もない。これこそ本来の意味でのリブート、再起動と言えるんじゃないか。
ゴーストバスターズは難儀なシリーズで、そのおもしろみが強い偏見やイデオロギーと同根であるため、「イデオロギーなくしましょうね」「ポリコレ配慮しましょうね」をしていくとどんどん味がしなくなっていくコンセプトなのだが、本作はそうした味わい=アクをだいたい消去した上で、でも「これってゴーストバスターズじゃん!」としか言えないテイストを提供していて、リブート版のお手本って感じ。肉は使えないので大豆だけで同じ料理作って見たけど、こっちのほうがおいしいでしょ?もちろん体にもいいし、っていう。
ゴーストバスターズには実はいろんな縛りがあって。その一番のコアとなる縛りは何かっていうと「ニューヨーク」なんですよね。1作目も2作目もリブートもすべて舞台はニューヨーク。ニューヨークという街を救うというのがゴーバスのコンセプトなんですね。NYという街に対するパトリオティズム。ニューヨーク、それはアメリカの理想の一つということでもあって、だから1では異教の神ゴーザをやっつけた黒人のウィンストンが「I Love This Town!」と叫んで幕を閉じるし、2では当時はソ連だったウクライナのビーゴという悪霊を、自由の女神とニューヨーク市民の善意玉(元気玉のようにみなから善意を少しずつ集める)で倒してた。そこが気持ちいいでしょ?ってのがオリジナルゴーバスの根っこなわけです。(これに対してリブート版では舞台はNYにしつつも、そうしたイデオロギーだけ消しさって、純粋に女4人が集まって楽しくゴースト退治する映画としつつも、ゴーバスがNYを愛してるのではなく、NY ❤︎ GB とすることでそのメッセージを書き換えた)
ところが、本作『アフターライフ』の舞台はオクラホマだったかな?の田舎街サマーヴィルで、NYなんかカケラも出てこない。しかも、オープニングは割とシリアスで、映像はきれいだし、映画としては悪くないけれど「これはゴーストバスターズじゃない......」と思わず口にしてしまって。見たことないけどストレンジャーシングスとか。真面目なだけのグーニーズ見てる感じで、途中、あまりの「いいんだけどゴーバスじゃない」感に笑ってしまった、それくらいゴーバスじゃない。
ところがここから、どんどんどんどんゴーバス感が一つずつ足されていって、加速しながらゴーバスになっていき、最後はこれこそゴーストバスターズじゃん!!としか言いようがない作品になる。ゴーバス感とはたとえば
「誰を呼ぶ?」「ゴーストなんて怖くない」といった定型文句
マシュマロマン
イヌブタ
緑色の食いしん坊おばけ
背中に背負う武器
SPENGLERと書かれたつなぎ
4人チーム
笑えるパンチライン
街の人に信じてもらえず収監される
スライム
ゴーストモービル
今までのシリーズでは割と序盤に4人チームがそろうんだけど、今回はだんだん結集していく感じ。今までのゴーバスだと白人3黒人1で、リブートでさえ「その人種構成はどうなん?」って疑問に思ったんだけど、白人2黒人1アジア系1で白人は兄妹、男女比も半々にしてる。
ゴーバスはビル・マーレイやダン・エイクロイドのコミカルなセリフが魅力なんだけど、本作ではコミカル要素がかなり弱い。だから監督のゴーバス理解を疑ったんだけど、最後にここぞ!というときにオリジナルメンバーが集結。ビル・マーレイがゴーザといかにもなやりとりをほんのちょっとするだけなんだけど、コメディ要素って古くなりやすいし、結局どれだけコミカルにしてもビル・マーレイの魅力にかなわないんだよね。そこがわかってるからこそ、あえてここにコメディ要素をまとめたバランス感覚とか「めっちゃわかってる」って感じ。 また、過去作の性差別的な表現や、リブートにすらあったインセルいじりを「しない」だけでなくきちんと書き換えてるのも、オリジナルに対するリスペクトを感じる。リブートですら「あんたの童貞がここに落ちてるよ」のような揶揄がありうんざりしたんだけど、本作では「統計では15歳の__%が処女よ」といったセリフをわざわざ入れてる。またエンドロールが流れたあとに、ビル・マーレイが超能力の心理テストを受け、正解してるのに電気ショックを食らうというシーンも追加。「あれは悪いことでした」とビル・マーレイにお仕置きしてるのが、まあかわいらしいもんだけど、「オリジナルを愛しながらもダメなものはダメって言おうね」というメッセージになっていて、素晴らしい。この監督はこども時代にゴーバスを浴びて育った世代でしょ。それがこれだけしっかりと「愛しながらダメも理解してる」ってのはとてもポジティブな気持ちになれるなと思って、監督名見たらジェイソン・ライトマン。 アイヴァン・ライトマン、つまりオリジナルゴーバスの監督の息子なんだよね。映画の中では娘と死んだ父親との邂逅が描かれるんだけど、このモチーフが結局、自分=監督と父親とも重ね合わされてるんだと思う。 娘を置いて去っていった父親と娘との邂逅ってテーマが、父親に都合がいいとか、その手の男が気持ちよくなれるクリシェだみたいな批判があるみたいだけど、ここまできれいに作ってくれたら自分はそこは引っかからないです。何かドラマをつくったらそれだけが規範化されてしまう側面はどうしてもある。娘と父が「和解」するドラマは感動的だけど、それを描くと「和解しなければならない」という規範を帯びがち。強いてあげれば、その後も娘が父親に対し批判的なことも言うとか。そういう描写があってもよかったかもしれないが、それこそ蛇足なんじゃないかな。
田舎町でのチェイスもよかったです。これ、かなりいいカーチェイスシーンなんじゃないかな。 moriteppei.icon ゴーバス、リブート版が全員主人公を女性にしてるので最もポリコレ的かと思いきや、アジア蔑視やチビ蔑視、インセル蔑視がひどくて見てられないんだよな。ジェイソン・ライトマン監督の本作こそ、明らかにゴーバス最高傑作って感じ。冒頭は「これがゴーバス?かったるいな」って思ったけれど、必要な要素はすべて入れてあるし、チェイスシーンのかっこよさよ。